2006年05月18日

お掃除おそうじー!

善射は某所を訪れました。

するとそこには玄関先に木の葉がおちていました。

大小十四〜十五枚程度でしたが、あちこちに散らばっていました。

どうせ「掃除する人」が掃くだろうと思い、玄関を通ろうとしました。

しかし善射はふと思い直し、体をかがめて拾い上げました。

そして側にあったプランターに木の葉を一枚一枚そっと入れました。

たちあがって手を洗った時、善射に「気づき」がやってきました。

掃除とは正常と異常、平常と非常を分ける行為なのだと。

あれだけ散らばっていた木の葉を取り除いた時、

そこには美しい床が姿を現していました。

異常が取り除かれ、正常がこの世にあらわれたのです!

掃除をする事によって心が磨かれる運が良くなるという本を

善射はこれまで幾つも読んできましたし、また実行もしてきたつもりでした。

しかし実は何も学んでなどいなかったのです!

「どうせ誰かが掃除するだろう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( ̄□ ̄;)誰?この傲慢様?

さぁ、その瞬間から善射の世間を見る目が一変しました。

目を開き耳を澄まし、顔を動かし首を回し、手を足を体を動かす。

触感皮膚感第六感、セブンセンシズ十感・百感・億千万。

持てる機能を総動員して世界を探索するのです。

今の私なら北条沙都子のトラップすら簡単に発見できます。

知覚や注意力を拡大するのに、妖しげなグルもクスリも手術も不要です。

ただ目の前のゴミをトリノゾクだけでよいのです。

善射は自分で「カンが強い」方だと思っています。

昔はそうでもなかったのですが、今よく考えてみれば、

掃除や整理整頓を徹底しだした頃からカンがアップしていました。

今では電話が鳴ると出る前に誰かわかりますし、

トランプなんかでも強カードかどうかわかるし、

「開運何でも鑑定団」の出品も誤差一割以下で評価額を当ててしまいます。

そして今日(もう昨日)、こーゆーサトリを得てしまい、

劇的になんというか、その、レベルアップした感じなのですよ?

そーいえば甲子園の強豪校では宗教的な情操教育の一環として、

一年生が上級生の身の回りの世話をして私物の整理整頓の習慣を叩き込まれる

という記事を読んだ事がありますが、その意味がやっとわかりました。

たしかに凡人を非凡たらしめる何かが「掃除」にはあるようです。

「違和感」に対する閾値といいますか、感受性といいますか、

なんかそういうモノを自らのうちに養う作業が「掃除」なのだと。

「なんかすごくね?掃除って?(←起動さん様風に)」

「木の葉」をひろって「世界」をもらったような、そんな善射の一日でした。

 

追記。

くだんの学園が甲子園で弱くなったのは、いわゆる「平等主義」のせいで

昔のような「教育」ができにくくなったのも一因ではないかと思う今この時。

posted by 善射 at 03:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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